『疲労とはなにか』 近藤一博
業務負担が増えて最近疲労という現象に興味が湧いてきたので購入。各章の最後のまとめがよくまとまっていて後から参照しやすくて便利。ただしブルーバックスなので原著論文への引用まではない。
第1章
疲労は睡眠・休憩などで短期に回復する生理疲労と、長期間強い疲労が続く病的疲労に分類できるらしい。生理的疲労は体内で産生された炎症性サイトカインが脳に届くことによって発生すると思われ、炎症性サイトカインの量に影響する要素として、一般的に疲労の原因と認識されている各種ストレスの影響が検証されている。また過剰なストレスが一時的に疲労感を軽減する(してしまう)こと、いくつかの栄養成分が確かに炎症性サイトカインを減少させること*1などが述べられる。
第2章、第3章
病的疲労の代表例としてうつ病の研究が紹介される。副題(すべてはウイルスが知っていた)にも現れるウイルス(ヒトヘルペスウイルス、HHV-6)がここでは登場し、ストレス・疲労がHHV-6の行動に影響、ヒト側の遺伝子(SITH-1)を発現させることでうつ症状を引き起こしうることが示される。またHHV-6の感染力の弱さがうつ病の*2遺伝性の根拠である可能性を示唆する。
第4章、第5章
新型コロナウイルスの後遺症の一つとして強い倦怠感が知られる*3。この原因が新型コロナウイルスのS1タンパク質がHHV-6同様にSITH-1を発現させるといううつ病と類似したメカニズムであることが示される。新型コロナ後遺症への治療薬の治験が進んでいるらしく、うつ病への効果も期待される。なおS1はmRNAワクチンが標的にしているタンパク質でもあり、(本文中で触れられはしなかったが)あの強い副作用の原因になっているのかもしれない。そうであれば使用するタンパク質を変えることで副作用が軽減できるのでは、と期待したい。
第6章
ここで突然「空想科学的SITH-1論」として、エヴァが好きな方なのでは、と思われる空想が語られる。これはこれで面白いかもしれないが、中高生が本気にしたらどうするんだ。
『〈実存哲学〉の系譜』 鈴木祐丞
キェルケゴールとウィトゲンシュタインを取り上げた本。
著者は最近ちくま新書でもキェルケゴールを扱っており、講談社学術文庫に『死に至る病』の邦訳もある。
ちくま文庫で訳者が10ページ近い註をつけていたた、『関係がそれ自身に関係する関係である』*1をはじめとしてひたすら用語法が難解な『死に至る病』を2ページ半で概説するアクロバットに驚いた。この本こんなに(不可逆)圧縮可能なのかと驚いた。通読してみるとキェルケゴールだけでなくハイデガー、ヤスパース、サルトルの思想も大分不可逆圧縮されているように思われ、少なくともわたしはこの本だけで彼らの思想をわかったつもりにはなれない。ただこれは決して著者が責を負うべきことではなく、そもそも短い文章で思想を十分に説明するのは不可能なのではないかと思う。*2
キェルケゴール以降の実存哲学者の思想を紹介することで、著者のいう「〈実存哲学〉の系譜」*3を受け継ぐかのように思える彼らは、「キェルケゴールの実存の思想を啓示宗教としてのキリスト教というもともとの文脈から切り離し、その上で、自分の哲学体系を構築するための素材としてそれを活用し、哲学的思考を展開した」*4ことが示される。その上で『論考』から『哲学探究』への転換にキェルケゴールが大きく影響していることを日記、私信から明らかにした。つまり、ウィトゲンシュタインをザラザラした大地に戻したのは〈実存哲学〉である、という指摘がこの本の主題である。
ところで、著者のウィトゲンシュタイン理解について気になった点があったのでメモしておく。わたしは野矢茂樹の『論理学』からウィトゲンシュタインに近づいてきたので、野矢訳『論理哲学論考』の註にあったように「日常言語は論理的に完全であるとウィトゲンシュタインは考えている。『論理哲学論考』がなそうとするのは、日常言語を分析し、それが持っている真の論理的構造を明らかにすることである。理想言語を求めようとする理念は、むしろラッセル自身のものであり、そしてそれはウィトゲンシュタインによって批判の対象となるものにほかならない」*5と思っていたが、この本では「ウィトゲンシュタインは『論考』で、〈究極の言語〉の構築に取り組」んだと論じており見解が大きく分かれている。著者のウィトゲンシュタイン理解は鬼界章夫に拠るところが大きいらしいのでもしかしたら鬼界の著書では本書に近い解釈がされているのかもしれない。
ちなみに本書の一部は出版済みの文だが、本棚に既にあった(『現代思想』のウィトゲンシュタイン特集)。完全に肥やしになっている。
『〈賄賂〉のある暮らし 市場経済化後のカザフスタン』 岡 奈津子
確かTwitterで見かけた本だったと思う。ソ連解体に伴い社会主義計画経済から市場経済へ移行したカザフスタンにおける賄賂を調査した本である。
創作物で(正確性はともかく)馴染みのある、物資が不足しコネの有無が生活を大きく変えてしまうイメージの社会主義体制から転換しても必ずしも市民生活全般が改善するとは限らず、むしろ腐敗が進行しうることを示している。
この本で取り上げた賄賂は、軽微(とも限らない)犯罪を見逃してもらう見返り、就職を有利に進める手段、のような社会・組織の腐敗としてイメージしやすいケースもあれば、公式にやればとても煩雑で時間のかかる手続きの順番を優先する、より良い医療サービスを受ける、など、新自由主義的な利益率の高いサービスとも理解できるようなケースも存在する。何よりも親戚では安く知人からの紹介では高い、というように渡す側と受け取る側の人間関係によって相場が変わる、信頼と賄賂の市場が構成されているらしいことが興味深い。
1章、2章でカザフスタンという国の歴史的・文化的な概略が十分に説明されており、本題に入っても情報不足を感じさせない。3章以降では計画経済における不足*1と市場経済における差異の商品化が結びついたことで、社会的な地位が金銭的な価値に容易に置き換えられていった様子が警察・公務員、商取引一般、教育、医療の場面で描かれている。あらゆる場面で賄賂が顔を出しており、あるべき形式が損なわれているというよりも、プロローグの見出しにもあるように「非公式な問題解決」が公式ではない(公的な価格が決まっているわけではない、時価)というだけで、賄賂の存在する社会があるべき形式であるかのようにすら思える。ただし、現にそうであることとそうあるべきであることは厳格に区別されるべきであるし、本書中でもインタビュー相手達がこの市場経済化以降の社会習慣に辟易としている様子は伺える。何よりも格差が不可避に拡大する制度が維持すべき妥当なシステムだとはわたしには思われない。
『<ものづくり>と複雑系』 齊藤了文
どこかの古本屋で見つけて購入したらしい。タイトルや序文からは全く判別がつかなかったが、科学哲学に対する工学哲学とでも呼べるものを意図して書いているように思える。(わたしもそうだが)特に物理学など、理学寄りの人間は現象をよりシンプルな法則で説明しようとする還元主義的な傾向が強いが、製品設計などにおける課題は分析的方法だけでは決して大域最適解に辿り着けない複雑な系を対象にしている。それは3体問題やNavier-Stokes方程式が解析的に解けないという種類の困難だけではなくて、時間・予算的な制約のような社会的な困難も含む。これらに対処する手法の集積として工学を捉えるのが著者の目的のようである。
正直なところ主題に対する回答は弱く、中途半端に工学倫理が言及され、サブタイトル(アポロ13号はなぜ帰還できたか)は特に関係がないように思えた。工学倫理については26年前の本なのでもしかしたら当時は価値があったかもしれない。
個人的には基本法則だけでは解決できない「(ひらがなの)ものづくり」という観念もあまり好きではなく、何か予想外のことが起きてもそれは分析が不十分だったからではないかと言いたくなってしまう。(その分析が困難になるのが工学の対処する問題である、という主張には賛成する。わたしも業務で苦しんでいます)帯には「理論を超える複雑な現実」と書いてあるが、多くの場合それは非線形性なり統計性なりの誤診によるエラーバーの過小評価であって、還元主義的アプローチの困難とは断じにくい。
ちなみに26年前というのはニューラルネットワークのアルゴリズムは一部存在したけれどもマシンパワーが足りず、エキスパートシステムが流行っていた(か、飽きられ始めていた)頃であり、それらしい扱われ方をしている。工学を対象とする哲学者がAIを議論するのは今も昔も変わらないらしい。
『悪文の構造』 千早耿一郎
最近文章を書いたり、人の文章を直したりする機会が増えたので読んでみた。最初に出版されたのは45年も前だが、良い文章の基準はその程度の期間では大きく変わらず、確かに今出版しなおしても需要のある本だった。
帯にも書いてあるように「豊富な事例と図解で案内」され、300ページ弱の本文の中には117*1の例文がある。一部の指摘(読点の打ち過ぎ)は近代小説あたりで見かける印象の強い、つまり現代の文章であまり接しなくなった特徴だが、大半の指摘は意識的・無意識的に直したり、(人が書いていたので)指摘したりしていたように思う。
図解は日本語における句構造の入門としても役立ちそうに思えるが、知識がないので現代の理解とどの程度の隔たりがあるのか判断がつかないことが残念である。というより、本としてまとまった資料があるのかもよく知らない。資料が欲しい。代名詞の省略(pro drop)を乱用するな、という指摘なんて統語論への入り口としてとても魅力的ではないでしょうか。*2
『四日市学講義』 朴 恵淑編
確か去年の年始にブックオフで見つけたので買った。三重大学の教員を中心に実施したオムニバス講義の内容をまとめた本らしい。明示的にはそう書かれていないが、前書き、序章と口語体の多い文章から読み取れる(オリエンテーションを行う、など本として不要と思われる文章まで残っているのはどうかと思う)。
なお編者らは名古屋の同じ出版社から継続して三重、環境に関する本を出版しており、この地域に根ざした研究を続けていることが窺える。研究者の成果だけでなく、公害発生当時に活動していた、もしくは生活していた人々の声を残す媒体にもなっている。その意味で講義としても教育的だったのだろうと思う。わたし自身在学中にその講義をたとえば必修で取ることになっていたら面倒くさがった気はするが。
倫理的・法的に大量のSOx, NOxを放出することを問題と認識されなかった時期が存在してしまったこと自体は、おそらく防ぐことは相当に困難*1だったと思われる。だからといって今後起こりうるリスクを無視した活動が無制限に許容されるということは平均的な倫理観において許されないはず*2で、後出しになってしまうが規制はされる。製品・サービスを開発する人々には是非このような事例から自身が社会に招きうるリスクを理解してほしい。
法学の目線では、憲法解釈の例として25条を根拠に環境権を説明するあたりが面白い。最近読んだどこかの作品で、法をあまり厳密に定義しすぎると不適切な法となってしまった時に修正が手間(なので大雑把に定義しておく)という話があった気がするが、現実にも法と憲法の差はあるが、原則を曖昧にしておくことで現在の実態に合った規則を構築する余地が残されているらしい。
『倫理学概説』 小坂国継・岡部英男 編著
入門的な本を一冊くらい読んでおこうと思って確か去年の年末に購入。初版が2005年と結構古いので最近の本は引用されていないのが残念。巻末の資料集に引用がたくさんあるが、特に1章の条文あたりの引用がありがたい。まえがきを除いて本文中で触れられた記憶がないので微妙に使いづらいが。。
第一部「現代の倫理学」は応用的なトピックとして生命倫理、環境倫理、経営倫理、正義論について幅広く扱っていている。第二章の土地倫理、世代間倫理のあたりは応用範囲を広げていく歴史が面白かった。
第二部「倫理学史」は扱う範囲がとても広い(ギリシャ・ローマからメタ倫理学まで)のは入門書としてよいが、章によって読みやすさが大きく異なる。取り上げる内容によって入門書(の単なる一節)としてまとめる難しさに差があることはどうにもならないと思われるので、何か引っかかった人の文章を改めて読みにいく前段階の案内と思って読むのが良いかもしれない。たとえばわたしが読んだことのある範囲では、キルケゴールの"関係に対する関係"なんてちくまの桝田訳では8ページにわたる註がついているけれど、これを入門書につけようとすると百科事典になってしまう。気になったら原典(に適宜解説の付いたもの)を読めばよい。野矢茂樹が書いていた、"『『論理哲学論考』を読む』という本を読んでも、『論理哲学論考』を読んだことにはならない"、"哲学の解説書というのは読まない方がよい"を思い出した。
一通り読んでみて、社会契約説、実存主義あたりに興味があることがわかったのでその辺りを読みたいが、それ以前に精読の訓練を受けていないことがこれまで以上に気になってきた。ダラダラと読んでいるだけではすぐ抜けるので。。